プロアクティブ 成分の今後の動き
もし人間の耳が遺伝子操作によって通常の九倍の大きさになってしまったら、それを自然だと思う人はいないだろう。
とはいえ、ビタミン生産の歴史もまず自然から始まった。
チアミンやピリドキシンは最初は籾殻から取り出し、同じくビタミンB群のビオチンは卵黄から、葉酸はホウレンソウから得ていた。
ビタミンDはといえば、それは骨ではなく、コレステロールから抽出されていた。
そしてビタミンKになると、いくら自然の産物とはいえ、いささか食欲を減退させる歴史を持つ。
一九四〇年代のはじめ、腐ってバクテリアにまみれた魚粉を原料に作られたのである。
穀物や果物や野菜が、もはやビタミンの主要な供給源でないことは明らかだ。
工場では食欲を減退させるような材料を用いてビタミンの合成が行われている。
スイスの製薬企業H社のグレンツアツハ工場だけでも年間三〇〇〇トンのリポフラビンを製造している。
BASF社も韓国工場でいずれは閉じくらいの量を生産したいとしている。
ルートウィヒスハーフェンにあるこの巨大化学企業は、「リボフラビンの需要が年間四パーセント増大した」ことを喜んでいる。
ビタミンCの生産量は世界中で年間八万トンを上回り、六億ドルの市場価値がある。
その材料には「天然資源」が多く必要になり、非常に高くつく。
それでもメーカーはビタミンのよいイメージを壊さないために、合成ビタミンに天然混じりけのないビタミンを合成しようとすれば、の材料を用いていることを証明しようと躍起になっている。
そこで近代的ビタミン生産に役立つものを自然界から見つけてくる。
動物の死体、遺伝子組み換え乳酸菌、高性能トマトなど、種類は多い。
これらにはたしかに自然が残っているかもしれないが、平和でのどかなイメージとはかけ離れている。
スピード出世した枯草菌バクテリアも自然界の生物だ。
たとえば学名バチルス・サブチルスという枯草菌。
この梓菌は広く分布しており、勤勉で多才である。
パシトラシンという抗生物質を産生することもできる。
これは医薬品としての効果は高いが、毒性がある。
そのためパシトラシンは感染症の局所治療にしか用いられていない。
服用や注射には不適格だ。
そういうわけで、枯草菌は長い間科学者の気をひくことはなかった。
使用法が非常に限られる抗生物質を生産するだけのバクテリアに、いったい何ができるというのか。
しかも、ある状況下では、深刻な病気を引き起こす可能性があることもわかっていた。
こういったことはすべて、微生物のイメージやキャリアには不都合だったからである。
バチルス・サブチルスが大量のリボフラビンを生産できることがわかると、事情は一変した。
そのために何が必要かというと、グルコース、すなわちブドウ糖だけである。
そのときまで、何段階もの工程を重ね、費用をかけてリボフラビンを製造していたビタミン・メーカーは、突知として新たな生産方法を見いだしたのである。
この勤勉なバチルスの餌になる糖を含んだ廃棄物は、二束三文で買うことができる。
それに、こうして作られたリボフラビンの「サブチルス」は、化学という焼き印の押されていない、自然の商標なのである。
干し草から作られるそこでリボフラビン生産のために枯草菌を集めにかかる。
この徴生物はたしかに勤勉だが、リボフラビンの年間需要量が何千トンにも増えている昨今では、それを満たすには不十分であることが明らかになった。
そこでこのバチルスの生産意欲に、少しばかり人間が手を貸そうということになった。
バチルス・サブチルスの補習授業にまず名乗りを上げたのが、H社である。
ドイツとスイスの国境付近にあるパーデンのグレンツアツハ工場がその教室にあてられた。
その実験室でこの勤勉なバチルスに再教育を施すと、年間三〇〇〇トンのリボフラビンを生産できるまでになった。
ただ、それには特別な教材が必要だった。
わかりやすくいえば、遺伝子組み換えである。
遺伝子学者にとっての出発点は、バチルス・サブチルスがリボフラビンを生産する際に、あまり効率がよくないのを発見したことだった。
「細胞内の代謝を念入りに観察すると」と、チューリヒ大学バイオテクノロジー研究所のウヴェ・ザウアー教授が講義してくれる。
「分子が空回りしている箇所があるのが確認できます。
これがエネルギーを大量に消費し、リボフラビンの生産を邪魔しているのです」分子がただ回っているだけでは、あまり生産性があるとはいえない。
そこで研究者は考えた。
このような空回りをどうすれば止められるか。
そう、バチルスの代謝に直接介入すればよいのだ。
そうやって遺伝子をちょっと変えてやれば、Hのグレンツアツハ工場が「これこそバイオテクノロジーによるリボフラビン生産の担い手だ」と胸を張るように、なんとも早い出世をしたものだ。
ビタミンを何トンも生産できるだけではない。
以前より廃棄物の量も減った。
これは生産コストをこれ以上圧迫しないだけでなく、グレンツアツハ工場がいうように、環境保護にも貢献することになる。
市場に出ているリボフラビンからは、ドイツ技術検査協会の定期検査でも明らかなように、ところ変換された遺伝子は検出されていない。
バチルス・サブチルスは遺伝子組み換え菌がグレンツアツハの実験室から外へ出ていないことを祈るばかりだ。
バチルス・サブチルスは医学的には「日和見細菌」の一種で、消化管に深刻な病気を引き起こすことがある。
このように遺伝子組み換え商がかかわると、症状がどのくらい重くなるのかは、まだだれにもわからなH社の工場で生産された合成リボフラビンは、乳製品や豆類に含まれる天然のリボフラビンとはまったく異なる。
生産に遺伝子組み換え菌を用いているからというだけではなく、バクテリアの力工場での加工をしやすくして73で分解させ、さまざまなフィルター、結晶装置、乾燥機などにかけて、あるからだ。
加工の全工程が終了すると、H社のリボフラピンは、宣伝パンフレットに記載されているように、天然リボフラビンの倍の速さで水に溶け、「球状の粒子」になる。
このような球状のビタミンが人間の身体にどのような作用を及ぼすかは「神のみぞ知る」である。
ビオチンは産卵鶏の繁栄のためにH社はリボフラビンだけでなくビオチンも作っている。
皮膚や毛髪を健康にするというので、ビオチンはビタミンHとも呼ばれ、化粧品に大量に用いられている。
また家畜用飼料にも使用されている。
ピオチンは「家畜の潜在能力を引き出す」のに役立つと、H・グレンツアツハ工場のマルクス・アルトヴェーク氏は説明する。
ケージ飼いでストレスのたまった鶏や、櫨の中で鳴いている牛や豚を喜ばすことができる。
動物たちの生活状況がひどいものであっても、ビタミンさえ摂取すれば本来の能力を発揮できるというのだ。
近代的畜舎で行われているビタミン・ドーピングである。
もっとも、鶏や豚が喜ぶのは早すぎる。
ビオチンは飼料中のそのほかのほとんどの物質と同じく、天然のものでないからだ。
畑の雑草として分布しているカラクサケマンに含まれるフマル酸という植物性物質を原料にして、実験室で化学者が作ったものだ。
化学者は自然科学者なので、自然のことをよく知っている。
だから自然界の物質をちょっと作り替える場合には、実に想像力豊かになる。